TOPVoice of the President文化祭で何をすべきか?【1】

 これまで書いたように、文化祭の必要性はそれが生徒を7ヶ月間拘束するという性質上、先天的に備わっているものだ。附設生にとってはその事実だけで文化祭を行う価値があると言える。生徒達が何を行うかということは、この点に関しては何の変化も生じさせない。
 では生徒自身にとってはどうだろうか?”高校生活最後の”文化祭をどう捉え、利用し、そこから何を得るべきなのか?そしてその為には何をすべきか?

《1》
 文化祭は集団の意志によって行われる。個人個人がやりたいことをやった成果が文化祭という形で昇華されることはない。そこには実行委員長・役員長・組長がおり、彼等が中心となって様々な規模の意志統一がなされる。意志統一を言い換えれば、それは個人的意志の排除だ。それを可能にするのは「議論」である。そう、文化祭は議論によって創り上げられる。そして僕達は議論を通して多くのことを体験する。論理の構築・他者の説得・感情の抑制・多数意見の妥協…。様々な価値観の衝突が活発な議論を生む。衝突によって失われた運動エネルギーが熱に変わるのと一緒だ。特にこの附設生は本当に優れた個性の集団であると感じる。その彼等が議論を通して得るすべてのものが彼等の人間性を高めるのは確かな事である。一つの答えが出た。

《1》(答)人間性を高めるために、活発な議論を重ねるべきである。

《2》
 《1》ではむしろ実行委員の視点から「議論」という現象を理想の状態に置いた上で議論してきた。ここではより個人的なレベルで同じく議論の有用性を考えようと思う。
 役員会レベル、組合レベル、友達レベルなど、様々な状況で議論は生じるはずである。それらに共通して存在するものとして、「参加している人」と「そうでない人」という分類が挙げられる。ここで「参加している」とは、ただその場にいる、という意味では勿論なく、他人の発言に耳を傾け、それに対して自らの意見を構築し、それを適宜表現することだ。↑に書いた理想の議論状態とは、その参加者全員が「参加している」状態のことである。中でも大切なのは「表現(発言)」だ。何故なら、人の話に対し自分の意見をもつという行為は例えばテレビを見ながらもできることであり、意見を発言し、それに対する他人の考察を聞くことで初めて、その人自身にとって議論が行われたことになり、《1》に書いたような利益を得ることができるからだ。また、自分の意見を表現することは、面接試験や大学・学会・職場でのプレゼンテーション等今後の人生における色々な場面で重要なことであり、そういった将来的な視野からも、議論に「参加する」ことは大きな意味を持つのである。

《2》(答)議論の場においては積極的に発言すべきである。

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はじめに
文化祭は附設に必要か?1】【2
文化祭で何をすべきか?【1】【2】【3】【4】【5
これからの附設文化祭はどうあるべきか?1】【2
おわりに