TOPVoice of the President文化祭は附設に必要か?【1】

 この問いの答えを考える前に、なぜ僕達は附設にいるのか、ということを考えたい。僕達が附設にいる唯一の目的、それは大学への進学である。まず全ての行動の上にこの前提があるはずだ。(今は学校レベルの話であり、個人的な行動については考えていない。)では大学に入るには何をすればいいか?それは苦痛を伴う頭脳の鍛錬に他ならない。大量の暗記事項、煩雑な計算力、複雑な思考力、それらに耐え得る頭脳を鍛え上げることこそ、附設生が根源的に持つ目的である。

 このような前提から文化祭を眺めた時、それは明らかに矛盾したもののように見える。僕達が文化祭を創作する過程で行うことといえば、企画の検討、外部との交渉、他者の説得、そして文化祭当日は、外部への様々な表現・交流・達成感の享受などが挙げられる。これらの行動が附設に必要だと言えるか。ここまで読んで、「それは人間性を豊かにするために必要だ」と考える人は多いと思う。確かに、久留米大学附設高校の理念は『社会に貢献し得る国家有為の人材の育成』であり、これを根拠に文化祭を意義付けることができそうな気がする。しかし、よく考えてみて欲しい。「国家有為の人材が完成しました。さあ、そこで早速国家の役に立って貰いたいのですが、どうしたらよいでしょう?え?大学に合格しないと国家の役には立たない?困ったなあ、人間性の完成に力を入れてきたから、文化祭とかでね、だから学力がちょっと足りないんですよ…」ということにならないだろうか。結局、限りない才能が詰め込まれた人材も、大学に合格してその才能を開放できなければ何の意味もないのだ。文化祭に伴う上記の行動を幾ら繰り返しても大学に合格することはできない。ということは、文化祭は附設から排除すべきなのか?

 仮に排除してみよう。文化祭に関わる高2の9月から高3の4月までの7ヶ月間、何も仕事がないとする。7ヶ月間の全ての休みと放課後・そして本番前2ヶ月の休日が自由になる。何をすべきか、言うまでもなく勉強だ。長時間の勉強ができる。勉強、勉強、、、、長時間、苦しい勉強ができる…。しかし、本当に僕達はその辛いことができるだろうか…?  
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はじめに
文化祭は附設に必要か?【1】【2
文化祭で何をすべきか?1】【2】【3】【4】【5
これからの附設文化祭はどうあるべきか?1】【2
おわりに