第三十一話 『生還』



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 真っ暗な空間で、声がする。
 自分はどこを漂っているのだろう。いや、どういう姿勢でこの場にいるのだろう。周りに一切の気配がしない。あるのは自分と虚無だけ。
 そんな空間を、成瀬日奈子は漂っていた。ふわふわとした不思議な感覚が全身を包み、意識さえはっきりとしない。ぼんやりと漂っているだけ、ただそれだけで時間が過ぎてゆく。
 どれほど、漂っていただろうか? まどろみかけた頃、微かに声がして耳を澄ます。

「……るせ……な、るせ。成瀬」

 その声が響く度、真っ暗な闇の中に水滴を打ったように青い波紋が広がり、虚ろだった意識もはっきりと澄んでいく。

(誰……誰なの?)

「君もそうだ……選んだ訳じゃないのに。可哀想に」

 透き通った、少年の声。まるで、生まれて初めて声を出したような、そんな印象の声だ。しかし、いつも聞いていた様な印象も受ける。
 その声はさらに続ける。

「身勝手なエゴ。一瞬で、一ミリ、一センチ。早いよ、早すぎるんだ。あの女はしちゃいけない事をしてる」

(何を、何を言ってるのよ)

「いいかい、君は言葉に気をつけないといけない」

(言葉?)

「じゃないと君は……」

 その時、空間が急速に流れ始めた。辺りは依然として暗いままだが、自分の体だけが置き去りにされていく。それに連れて、少年の声もどんどん遠くなる。

(ちょっと待って! 何よ! 何に気をつければいいの? ちょっと!)

「ちょっと待ってよ!」

 そう叫んで、成瀬は起き上がった。息を荒げながら、成瀬は辺りを見回し、きょとんとする。上へと流れる肌寒い風、やたらに高い天井。殺風景なその場所を無機質な鉄柵が円形に囲っている。しかし、依然として状況がさっぱり呑み込めない。
 そうしていると、隣で小さな悲鳴のような声が聞こえ、どたどたと走り寄って来ているのが分かった。すぐにそちらを振り向くが、覆いかぶされ再びその場に倒れこんだ。

「日奈子!」

 どうやら、悲鳴ではなく歓喜の叫びだったようだ。

「よかった! よかった……」

 嗅ぎ慣れた匂い。聞きなれた声。成瀬は、はっとしてその顔を見る。

「真弓? 真弓なの? それに、みんな?」

 黒田は涙を流し、顔をくしゃくしゃにして、優しく微笑む。
 その後ろにも見慣れた顔が並んでいた。守本、津川、稲本、関口。そして、その更に奥で横たわっているのは広村だろうか?
 それにしても、揃いも揃ってボロボロのメンツに、成瀬は笑ってしまった。包帯を巻いているもの、服が血みどろなもの……しかし、その全てがここまでの苦難を物語っていた。

「私……そっか―――確か、あの場所で、お父さんとお母さんの事知って、深溝に会って、つっ!」

 頭の中を回想すると、頭がずきりと鈍痛を送って来た。まるで、思い出すのを頭が躊躇しているかのようだ。 
 痛みに顔をしかめた成瀬に、守本は無理に思い出すなと止めた。

「色々あったやろうからな―――ここには、みんながおる。やから、安心して休むんや」

 守本の温かい言葉に涙が溢れそうだった。
 どこをどうして、みんなの下へ帰れたのかは分からない。だが、今の成瀬にはそんな事はどうでも良かった。深溝の下から、みんなの下へ……それが何よりも嬉しく思える。
 だから彼女は、今は深く詮索する事をやめておいた。記憶なんて、その内戻る。と。

「そうだ! 丁度俺たちご飯食べる所だったんだよ! 成瀬もどう?」

 見ると、みんなに囲まれている風景の後ろには色とりどりの缶詰が並べられている。それを見た途端、不思議にも急激な空腹感が押し寄せてきた。
 何日も食べていなかったかのような空腹感に、成瀬は関口に二つ返事をすると、津川から差し出された缶詰を受け取った。しかし、手に巻かれている包帯のせいで上手く取れない。

「こんなもの……えい!」

 そう言うと、成瀬は勢い良く包帯を解いてしまった。
 巻いた本人の黒田は焦ってそれをやめさせようとしたが、無駄だった。
 成瀬の両手は爆発から津川を守った時にぼろぼろになっていて、傷跡が残るだろうな、と黒田は予想していたのだが、それは要らぬ心配だったようだ。

「あんなにひどい傷だったのに……綺麗に無くなっちゃってるね」

 そう、彼女もまた進化しているのだ。
 守本と同様、大怪我さえも数分で治癒してしまう。その証拠に、当の守本も黒田を庇った傷を、ちょっと眠っただけで完治させてしまった。
 ただ、失血だけはどうにもならないらしく、守本は頭がくらくらするといいながら自分を負ぶって壁を登っていたが。

「全然平気よ! 私、強くなったもん。これからはどんどん私を頼ってね」

「お! 頼りになる味方の復活やな! 頼むわ!」

「ははは、相変わらず元気がいいですね、成瀬さんは」

 そう言った稲本に、並みの化け物くらいなら一瞬よ、と答える成瀬。しかし、黒田は不思議といつもの成瀬を感じなかった。
 まるで、無理をして笑っているような、そんな印象を受けたのだ。
 だが、成瀬日奈子が帰ってきたのだ。今はそれだけでいい。そう思うと、黒田の心配はどこかへと霧消していった。


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 成瀬との戦いがあったあの場所から離れたメンバーは、開いた扉を抜け、少し進んだ先の休憩部屋へと足を運んだ。
 これは稲本の予想通りだった。

「これまでの通例どおり、戦いのあった部屋の近辺に休憩できる場所が用意されているはずです」

 その言葉どおり、それを見つけたメンバーは再び、これが深溝のゲームの中なのだという事を認識させられる。
 とにかく、メンバーはそこで休息を取る事にした。稲本と関口の骨折もまだ完治していないし、あれだけの重傷を負った守本もやはり疲弊していたからだ。それに、成瀬にも休息が必要だった。
 そこには、救急箱、缶詰などの食料、人数分の寝床が置かれていた。
 休憩を取りつつ、これまでの経緯を細かく成瀬に伝える。

「そっか。うん、分かった」

 成瀬はこれまでの経緯を全て聞いた。
 怪物の事も、宮浦の事も、そして、守本に起こった事も。

「じゃあ、守本は今一番強いって事よね?」

「おう! 俺は今や津川をも遥かに超えとるからな。もう、こいつにびくびくする事もな、あいたっ!」

「ん? 俺を遥かに上回っているんじゃないのか? これぐらい避けて貰わないと困るな」

 いつもの通り、拳骨を容赦無く見舞う津川に、守本は涙目で頭頂部を抑える。

「あほか! 痛いもんは痛いねんぞ! くぅ! きっつ〜」

 相変わらずな二人に成瀬は明るく笑う。
 こんな状況なのに、こんなにも楽しい。成瀬は、改めて帰って来れたのだと実感する。

「そういやさ、あれもう一回やってくれねえか?―――うわ!」

 唐突に切り出した関口の目の前で、ごく微細な爆発が起こった。それでも、不意を付かれた関口は大袈裟に仰け反る。
 その様子を見て、稲本が笑う。

「いつ見ても、不思議ですね。その能力、どうやって操作するんですか?」

「あはは! うん、使い方ってのは意識なんかしてないんだけど、この場所でこういう風な規模の爆発、って想像すると―――ほらね」

 成瀬の頭の上で細かな炸裂音が数回した。

「こんな風に爆発させられるの。確か、原理は指先から、精神感応性の物質を放射し、精神で操作、着火を行う……だったかな。深溝が言ってた事だからよく分かんない。全部聞いてた訳じゃないし」

「って事は、深溝との会話を覚えてるって訳ね」

 黒田がそう聞くと、成瀬は何かを思い出す素振りをする。恐らく、深溝との会話を思い出しているのだろう。

「ん〜〜、全部って訳じゃないと思うけど、ある程度は覚えてるわね。たぶん、深溝は私に精神操作みたいな事したんじゃないかな? そして、私にセグリルを投与して、能力を付けた訳ね」

 途端、その場に沈黙が流れる。痛々しい体験を、普通に言ってのける成瀬だったが、それを聞くメンバーはやり切れない思いで一杯だ。
 目前にしておきながら、助けられなかった、関口、稲本、津川の三人はそれもひとしおだろう。

「すまない、成瀬。俺たちが助けられなかったせいでそんな事に」

 津川がそう言って、深々と頭を下げる。だが、成瀬はそれに笑顔で会釈する。

「いいの。ありがとう。助けようとしてくれただけで嬉しいもん。全然気になんかしてないから大丈夫よ」

 そう言って、成瀬は優しく微笑む。だが、その裏側では仲間を痛い目に合わせてしまった事を深く悔いていた。
 しかし、これで三人の気持ちも少しは晴れるだろう。何と言っても、彼女がここに帰って来たのだから。

「それにね、勝てないのは仕方ないよ。だって、あいつ―――人間じゃないもん」

「……どういう事や? あいつも進化しとるんか?」

 守本に聞かれ、成瀬は首を横に振った。

「深溝が、今回の事を一から仕組んだ事、そして、この施設の創設者、という事は知ってるのよね?」

「ええ。それに、ここを壊滅させた本人でもあるんですよね?」

 稲本が頷く。
 隣で津川が、納得出来ないと言う様子で唸る。

「―――しかしだ、まったくもって意味が分からないな。ここは、進化した生物を軍事目的に利用する為に建造されたはずだ。なぜ、ここを壊滅させる理由がある?」

「そうだな、成瀬の両親や守本の母親を狙って拉致している所からも、かなり前から綿密に計画された事であると言えるし……だとするなら、無計画に滅ぼした訳でもなさそうだしな」

 関口はそう言って、一つ思った事があった。
 何年も前から自分達に目をつけて計画していたのは明らかだが、一体どこで目を付けたのだろう? 自分達が小学生の頃、そんな目立った行動を取っただろうか?

「ん? そう言えば……そうだ! 確か俺たち、実はあの時に一度会ってたんだよな」

「あの時? あ、もしかして」

「そうよ、真弓―――あの時に目を付けられたの。そして、ここからは深溝が、わざわざ私に言い聞かせた話をするわ。そしてこれは、この一連の出来事をゲームと考えている深溝が用意した、私がこういう事を言う『イベント』なのよ」

 そして、成瀬は深溝に聞かされた事を語り始めた。それは、彼らにとっては思い出話でもあり、深溝の生い立ちや、思想にも通じるものであった。


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 成瀬はまた、あの戦いがあった部屋に戻っていた。大きく、辺りを深い闇が囲んでいるこの部屋。
 黒田と守本を、自分がこの闇に落とした事も、津川や関口や稲本を自分が攻撃し続けていた事も聞いた。彼らが語ると笑い話だったが、自分にはとても辛かった。
 だが、危険を冒してまで自分を救い出してくれたみんなへの感謝は言葉では言い表せられない。
 深溝の話を終えた後も、変わらず楽しい時間を過ごした。中学校にいた時となんら変わらない、みんなとの楽しい時間。

「帰って来れたんだなあ、私―――死ぬほど辛かったけど」

 死ぬほど、とは決して言い過ぎではないだろう。
 一度は、両親の死に直面し、それに関係する人間、深溝に憎しみを覚えていた。しかし、それを深溝に利用され、憎しみで塗りつぶされたあの時……あの時の苦しみはまさしく、死を体験したと言っても過言ではないだろう。
 だが、今はその憎しみを利用される事は無い。憎む事の脆さを知り、許さない事が彼女の答えだと悟ったからだ。
 それに、自分だけではない。何よりも、今はみんながいる。きっと、またあの時の気持ちに戻ったとしても、自分を支え、救ってくれる。自分の不幸を、分かってくれ、癒してくれる。
 両親を待っていた頃に出会った、形だけの大人とは違うのだ。

 そこを考えると、幸せな気分になり、思わず笑みがこぼれる。

「うふふ」

「ひ・な・こ! なーにしてるのよ? こんな所で。しかも笑ってて気持ち悪い」

「こらこら! まったく、ノリがどっかの誰かさんに似てきてるわよ」

 そこには笑顔で佇む黒田がいた。

「大変だったのよね……でも、みんな心配してた。あの三人は特に……ね―――あんたを助けられなかったって、ずっと後悔してた」

「分かってるよ」

 そっか…と、黒田は答え。二人であたりに広がる虚空を見つめる。

「私ね、あいつらが本当に友達って思えるの。私がどんなに辛い時でも、どんなに哀しい時でも、どんなにピンチでも、絶対に助けてくれる。分かってくれる。元気をくれる」

 でも……。と、成瀬は続けた。

「私、守ってもらってばっかで……私に頼って! って言ったのもそれをごまかすためで、私……私」

 そこへ来て涙ぐむ成瀬に、黒田はあの時の不安が間違っていなかった事を悟る。
 彼女が目覚めてすぐの、あのはきはきとした態度。そう、彼女は強がっていたのだ。守っていてもらうばっかりの自分に、仲間を危険に曝す自分に、彼女は悩んでいたのだ。
 しかし、それは仲間を、あいつらを本当に思いやっている証拠でもある。黒田は、それを十分理解している。自分もそう感じていたのだから。

「ばっかねえ、あんたは。仲間を助けるのは当たり前じゃない。それにね、そこは私も悩んだのよ」

「え?」

 笑顔で語る黒田に、成瀬はきょとんとする。

「私がね、同じ事で悩んでる時、守本がこの暗い穴の底で言ってくれたの―――『俺も、みんなも、お前を苦しますために守るんとちゃうんやぞ―――苦しませんために守るんや』―――って」

 成瀬は、その言葉を聞いて何も言わずに虚空を見つめる。

「そして、あいつはこうも言ってくれた―――『お前は、助けた奴を思いやってくれてる。助ける理由なんて、それだけで十分や』―――って」

 俯きながらも、成瀬は涙が溢れてきているのが分かった。

「私、これを聞いた時にね―――温かかった。まるで、陽だまりにいるみたいで、心が一気に安らいだの。日奈子も、今そうして助けてくれた仲間を思いやってるでしょ。それで、私はいいんだと思う。確かに、仲間に守られてばかり、っていうのは辛いわ。けれど、守られてるこっちにも出来る事がある。そして、守られてる私にはそれしか出来ない。だから、私は徹底的に守られ役でいようと思ったの」

 そこまで言うと、なぜか二人して笑ってしまった。

「あはは、真弓らしいね。うん、私もそう思う。けど、私は守られ役に徹する事は出来ないかな?」

「どうしてよ?」

 その時、後ろの方で少し大きな爆発があった爆風は黒田の髪を乱暴になびかせる。

「ね?」

 いたずらっぽく笑って見せる成瀬に怒る事も出来ず、黒田は笑うしかなかった。
 二人して、雑談を続けた後、成瀬がこんな事を切り出した。

「私ね、気になる事があるのよ―――『夢』の事なんだけど」

 少し考え、黒田はすぐに分かった。

「あ、守本の夢の事ね。でも、確かに不思議ね。同じ少年の声がして、それを見た人は、二人とも進化してる」

 確かに、共通点はたくさんある。少年の声は、何なのか? とか、どうして進化した者にだけ見る夢なのか? とか、不思議な点もたくさんある。
 けれど、成瀬が気になっているのは、もっと別の何かだった。もっと、重要な何か……
 そう。そういえば、少年がこんな事を言っていた。

「言葉に気をつけろ」

「え?」

 意味が分からず、黒田はきょとんとする。

「少年が言ってたのよ。言葉に気をつけろ、って」

「ん〜〜、失礼な事を言うなって意味なのかな?」

 黒田がそう言った。
 確かに、そう聞こえなくともない。本当にそれは、ただ単純に失礼な言葉に気をつけろ、という事なのだろうか。
 しかし……。

「でも、何か、違う気がするの―――あ! 何か思い出せるかも……そう、確か」

(言葉が鍵)

 ある一場面が頭の中に浮かんだ。
 ほとんど見えないし、聞こえない。しかし、その場に深溝が居て、言葉が鍵、と言っている。そんな場面がおぼろげながら浮上した。

「そうよ! 深溝が関わってるの。そう、何か、言葉が鍵、とか何とか……」

「何してるんや?」

 その時、後ろの方で声がした。
 守本だ。それに津川に関口、稲本、と全員こちら側に来ている。

「どうしたの? 全員揃ってこっちに来て」

 成瀬がそう言うと、稲本がこう言った。

「いえ、とてつもなく長い間帰って来ないので、もしかしたらと思いまして」

 そういう稲本の後ろでは、津川が日本刀を構え、辺りを警戒しているのが見て取れた。
 どうやら、自分達が怪物にでも出くわしたのではないかと心配して来てくれたようだ。ついついおしゃべりの時間が長くなってしまった。

「何もないんならええんやけどな。やっぱ女一人と男一人やしよ。心配でな」

「も・り・も・と! この……ばか!」

 殺意が芽生えたのを察知した守本は、勢い良く後ろへバックステップする。

「まったく……あいつは、どうしてこうも緊張感が無いのかなあ」

 追いかけっこをしている黒田と守本を尻目に、関口はため息をつく。
 成瀬はその様子を見て、腹を抱えて笑っていた。


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